発端
そもそもは、Space VJ Meetingの主催者であるJarosław Bałabański(以下、ヤロシュ)から、日本のVJコミュニティとの仲介役を依頼された事から始まりました。その時点でのヤロシュは「VJ文化を学校教育の現場に持ち込んで実績を重ねている偉大な篤志家」という認識だったので、私と志を同じくする者としてヤロシュからの協力要請に応じていました。いや、なにせわたくしなんでも一通り以上にこなしてしまう万能選手なものですから、具体的には名刺やら受講者募集チラシなど、彼の身の回りに必要なグラフィックデザインを都度提供するようになりました。時期的には2017年7月下旬辺りです。
そして主催側へ
その後、ヤロシュは「10月下旬にプラネタリウムでSpace VJ Meetingを開催するから日本人を招待したい。オーガナイズを手伝ってくれ」と言ってきました。が、招待といっても渡航費用や滞在費が出るわけでもないので、その負担を考えるとコスト相応のメリットが無いと割に合わない。私のような自営業の風来坊なら兎も角、普通に考えたら無茶な話です。
そんな逆境の中へ日本人が参加し易くするには、主催側にも日本人が居ないとダメだろなーとは薄々感じていたので、こりゃ私が日本人メンバーのアテンド役を担うのが一番シンプルかなぁと観念しました。しゃーない。やるかー!
こんな経緯があって、私はSVM3の副オーガナイザーを名乗るようになりました。
割り切り
副オーガナイザーとはいっても、一般のパーティーイベントとは違って集客の如何が参加者の評判に影響する事は無いので、日本人参加者の安全と実績確保にステータスを全振りしました。他はぶっちゃけどうでもいい。俺達はプラネタリウムでイカす音を出しながらプロジェクタを焚けさえすればいいのだ。
そう腹を決めた後は「とりあえずSVM3が終わるまでは全力で皆に尽くそう」と走り回りました。iPhoneのヘルスケア履歴を見たら、ピーク日には27,000歩も歩き通していたみたいです。
続きます。
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